独断と偏見によるおすすめ映画

ジャンルはいい加減

サスペリア(2018)(アメリカ映画)

ダリオ・アルジェント監督のコメント

以下はオリジナルというか、唯一無二の「サスペリア」を撮ったダリオ・アルジェント監督のコメントです。さすが「サスペリア」の監督だけあって的確だと感じました。
“it did not excite me, it betrayed the spirit of the original film: There is no fear, there is no music. The film has not satisfied me so much.”
「私は惹かれなかった。オリジナルの精神を裏切っている。この映画には恐怖も音楽もない。少しも満足しなかった。」

このコメントに全てが集約されてます。

 

 

この映画には恐怖も音楽もない
サスペリアの魅力はゴブリンの恐怖音楽、不穏な効果音、不気味なキャラクター、鮮やかな色彩、斬新な殺し方、ミステリアスなバレエ団という存在にあります。
ダリオ・アルジェントが重視してるのはいかに客を怖がらせるかという演出。これはホラー映画全般に言えることで、ホラー映画は客を怖がらせることに主眼を置いてしまえば、ストーリーの整合性なんて二の次でも作品は成り立ってしまう。つまり重要なのは物語ではなく、演出、恐怖の見せ方。

じゃあこの作品はどうか。

トム・ヨークの音楽はおしゃれで全く怖くない。別にホラー映画じゃなくても、例えば恋愛映画にも使えてしまう。というか、そっちのほうが合ってそう。

音楽からしてもうホラーのサスペリア」や「サスペリア2」「エクソシスト」「サイコ」の音楽が恋愛映画に使えるかって話。全く別の映画になりますよね。

キャラクターはどいつもこいつも喋りすぎで親切すぎます。これはストーリーをわかりやすくするために監督の意図したことだと思いますが、オリジナルに見られるタクシー運転手、全盲ピアニスト、無言の寮母たちなどキャラクターの不気味さが消滅している。

印象に残る色彩がなくカラーである必要性が感じられない。オリジナルの恐らくを意識したであろう鮮やかな赤は目に焼きついて今でも印象に残っているのとは対照的。

殺人シーンは直接的でなく超常現象で行われる。踊りに合わせて捻れる身体、手をかざしただけで血を吹き出して死亡。

こういうのって一見ショッキングですけど、グロいだけで、狂気も恐怖も笑いもないんです。

オリジナルだと窓の外から突然毛むくじゃらの手が出てきて、外に連れ出されグサグサ刺され、屋上まで連れてかれ、天窓から吊るされて、その天窓のステンドグラスが降ってきて下にいた人が串刺しになってとか、全盲の人間が盲導犬に突然噛み殺されるとか、バレエ団なのになぜか針金が備蓄されてる部屋で全身血まみれになってから刺殺されるとか、もう明らかにノリノリだしやり過ぎだしで、格が違いますよね。「ファイナルシリーズ」の先駆けと言っても過言ではない。ただグロいだけの本作とは大違い。

 

感想
全体を総評すると、ホラー映画を専門に生きてきた監督とそうでない監督の力の差がモロに出た映画。正直ストーリーはどっちもどっちだと思うが、雰囲気の作り方、恐怖の与え方、狂気の見せ方、ホラー映画に必要なものを理解しているアルジェント監督の勝ち。
もし仮にオリジナルのサスペリアが存在していなくても、僕はこの映画を優れたホラーとして評価することはない。

エンドロールでオリジナルの音楽を流してくれるかも!、という僕の淡い期待も裏切られました。

試写会でこの映画を見たどこぞの女優が「キューブリック以来の傑作」みたいなこと言ってましたけど、脅迫されたってキューブリックはこんな作品撮りませんよ。

 

悪魔のいけにえ(アメリカ映画)

ホラー映画の傑作
今まで見て面白かったホラー映画を3つ選べと言われたら間違いなくこの作品が入ってきます。ちなみにあと二作は「サイコ」と「ブレインデッド」。
僕は良い映画の条件として笑えることが重要だと思ってるんですが、この映画はホラーなのにも関わらず笑えてしまう。
笑いと恐怖が表裏一体だと誰かが言っていましたが、この映画を見ればその理由がおわかりいただけるでしょう。
 
 
笑えるシーン(ネタバレ注意)
ホラーコメディ的シーンの1つ例を挙げると、仲間を皆殺しにされたヒロインがレザーフェイスと鉢合わせし、走って逃げ出すシーン。
暗い藪の中を甲高い悲鳴をあげながら走るヒロインと、なにも言わずただチェーンソーを振り回しながら追いかけるレザーフェイス
両者の走力は逼迫していて、いつ追いつかれても不思議ではありません。実際あと少しで背中にチェーンソーの歯が届くというくらい接近されてしまいます。
しかし藪の中なので、木の枝が邪魔。小柄なヒロインなら屈んで避けられる木の枝を、律儀にその都度立ち止まり伐採してから走り出すレザーフェイス。いやそんな大して太くもない木の枝なんだから、そのまま無理やり突破して捕まえちゃえよと見るものは思います。でも彼は立ち止まって伐採し、安心して通れるようになったらまた走り出します。その間もヒロインは叫びっぱなし。まるで植木職人の周りを走り回る狂人の図。ヒロインの命に関わるシーンなのに、ハラハラするどころかシュールで笑えます
 
 
監督の才能
そしてこの映画、ただのエンターテイメントにとどまらない、ラストシーンの美しさにも注目してほしいです。何か激しい感情に突き動かされチェーンソーを振り回し踊り狂うレザーフェイスの姿は芸術の域に達していると思います。監督自身、あのシーンは気に入ってるとのこと。
朝焼けの中に響き渡るチェーンソーの金属音が、親愛の兄を失い、己の役目を全うできず、心が張り裂けそうになった彼の慟哭のように聞こえるのは私だけでしょうか。
 
 
本編より面白いかもしれないメイキング
この作品のメイキングを見たので印象的だった撮影エピソードを挙げておきます。以下を踏まえるとより一層本作を楽しめること間違いなし

レザーフェイス役の役者は役作りのために無断で精神病院に侵入し、精神病患者の挙動や振る舞い方を勉強した。

レザーフェイスの代名詞であるチェーンソーは、何か使える道具はないかとホームセンターを物色していた監督が見つけ、これだ!と思った。

・演技にリアリティを持たせるために映画の中と外で役者の関係性をリンクさせた。つまり車椅子の彼は常に輪の外に置かれ、レザーフェイスに至っては他の俳優と顔を合わせることもなく本番で初対面。だからこそのあのリアクション。

・最初の犠牲者がレザーフェイスにハンマーで頭を殴られるシーン。予定では殴る振りだったのに、勢い余って本当に殴ってしまう。幸い大事には至らず。

・骨のオブジェは本物の動物の骨を使用。
 
・冒頭のアルマジロの死体は、美術の人がロケハンしたとき道で死んでたアルマジロの死体を持ち帰り、防腐処理を施し、剥製にしたものを使っている。監督が車に轢かせようとしたけど止めた。

・予算の都合でレザーフェイス役の衣装は1着しか用意できなかった。気温40度に及ぶ灼熱のテキサスで彼は着替えることができず、悪臭を放つ彼の近くに誰も寄りたがらなかった。

・ホウキでばしばし叩かれるシーンは、叩く役の人が良い人すぎて強く叩けず、怒った監督によってテイク7まで撮り直される。結果、ヒロインの身体は青あざだらけに。

・ヒロインの口に突っ込まれたボロ雑巾はそれ専用に準備されたものではなく、撮影場所にたまたま落ちていた本物のボロ雑巾。

・晩餐のシーンは撮影が上手くいかず、27時間ぶっ続けでカメラを回し続けた。夜になっても下がらない気温の中、用意された食事は腐り蛆が湧き悪臭を放った。

・ヒロインの指を切るシーンは特殊メイクの予定だったが、スケジュールや予算の都合上折り合いがつかなかったので本当に切った

・晩餐の後ヒロインが窓から飛び降りて逃げ出すシーンでは、ヒロイン役の女優が本当に足を挫いてしまい、あまり速く走れなかった。監督は遅すぎる!とキレた

・トラックに乗って逃げ出せたヒロインが大笑いするシーンがあるが、あれは演技ではなく撮影が終わったことが本当に嬉しかった

・配給会社が見つからず、ようやく見つかったと思ったらマフィアのフロント企業だった。収益はほとんどこの会社に奪われてしまった。ちなみにレザーフェイス役の人はスタッフ何人かと会社に乗り込みギャラの交渉をしたとか。マフィアも怖かったでしょうね。
 
感想
紛れもないホラー映画の大傑作。
低予算を創意工夫でカバーした制作陣のセンスには敬意を抱くしかない。
個人的に気に入ってるシーンはレザーフェイスが初めて画面に姿を表し、すかさずハンマーで男の頭をぶん殴り、重そうな引き戸をピシャ!って閉めるところ。あのシーンだけで有無を言わせない絶望感を表現している。
ほんとすごい映画です

おとなの事情(イタリア映画)

2016年公開のイタリア映画

日本ではあまり馴染みがない現代イタリア映画です。

 僕はイタリア映画って「ひまわり」「自転車泥棒」のヴィットリオ・デ・シーカとか、「道」「8 1/2」のフェデリコ・フェリーニとか、ネオレアリズモの容赦ない作品が個人的には好きなんですが、この作品はそういうイタリア映画の正統系譜って言えるかもしれない部分がちょくちょくあって、僕はけっこう気に入りました。

 

あらすじ

食事会に集まった7人の仲良しは、それぞれの携帯電話をテーブルの上に置き、送られてくる新規メッセージやメール、かかってくる電話(スピーカー)を7人で共有するゲームをやることに。そこから明らかになっていく各々の秘密……。

 

登場人物の嘘と真実(ネタバレ注意)

会話劇がメインかつけっこう特殊なラストを迎える変わった作品なので人によってはなんのこっちゃとなるかもしれません。
なので以下に物語を理解しやすいように7人の秘密をまとめてみます。ネタバレ注意。


ホスト
医者。料理上手。かかってくる電話は貸別荘の予約と娘からのもののみ。

この映画に描かれていることだけで彼を判断すると、妻と娘をとても大切にしている男。特に彼氏の家に泊まっていいか許可を求める娘からの電話に対して、頭ごなしに叱るわけでも、無関心に放任するわけでもなく、まず娘のことを信用して、それから的確な助言を与える。その姿勢は父親の鑑である。こんな親父になりたい。


ホストの妻
カウンセラー。ゲームを提案した張本人。
本人はタクシードライバーと浮気しているが、彼はその場にいるわけだから連絡が来ない、つまり自分は確実に安全であることがわかっていたからこのゲームを提案した。率先して他人の電話に応答するところはかなりゲス感がある。タクシードライバーからプレゼントされたピアスをつけている。


タクシードライバー
遊び人。少なくともホストの妻とタクシー会社の無線係、最低2人と浮気している。後者を妊娠させた。ホストの娘のことをわざわざ母親似だと強調するあたり、実はこいつのタネなんじゃないかと邪推する。


タクシードライバーの妻
元カレから性的な相談を受けていた。主義を変えてまで結婚したのに裏切られた被害者。弱そうに見えて実は強い女性。


無職のデブ
ゲイ。彼氏のことを彼女だと誤魔化している。1人だけサッカーに誘われないなど省られている。


倦怠期のハゲ
セックスレス。きわどい写真を送ってくる若い女と連絡を取っている。


倦怠期の妻
セックスレスフェイスブックで知り合った妻子ある男と連絡を取っている。ノーパンになって出かけろという高度な変態的要求に応えるあたり欲求不満らしい。義理の母親を老人ホームにぶち込もうと画策している。飲酒運転で人を轢いた。

 

 

ラストシーン
おそらく戸惑う人の少なくないあのラストシーンでは、何かのどんでん返しが起きたのか、皆何事もなかったように振舞っているが、あれはゲームをやらなかった場合の7人の関係を描写しているだけで、パラレルワールド、別エンディングのようなもの。真実を知らない方が平和だよというメッセージである。

ゲイはゲイを隠し、仲間内で省られていることを知らない。
タクシードライバーは奥さんの隣に座り、しれっとホストの妻と背徳的なメッセージのやりとりをしている。妊娠を知らせる無線係からの電話はシカト。何も知らないで楽しそうな奥さん。
ホストの妻は自分が浮気してるくせに夫に対して「携帯を見せないのは秘密があるからじゃないの?」などとのたまう。疑われないために先に疑うという高等テクニックである。
倦怠期の妻は帰宅後急いでパンツを履く。夫はトイレで送られてきたエロ画像を見る。


なにも知らない方が幸せなんです

 

感想

イタリア映画ってもう衰退しきっていて、黒澤や小津の去った現邦画界みたいなものだと思ってたんですが、そんな状況でもやっぱりこういう新しい才能は出てくるものなんですね。

撮影はほとんど室内で、予算なんてほとんどかかってなさそうだし、派手なアクションやCGがなくてもこれだけ上質な娯楽作品を作れるんだと証明してくれています。

製作委員会や芸能事務所に制約されてつまんない作品を作るくらいなら、新藤兼人がかつてやっていたこの路線に活路を見出すべきなんじゃないかなと、僭越ながら、才能ある監督志望の方々に言いたくなりました。